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福岡高等裁判所 昭和25年(う)2291号 判決 1951年2月13日

控訴人 被告人 李康純

弁護人 内田松太

検察官 副島次郎関与

主文

本件控訴を棄却する。

当審の未決勾留日数中三十日を原判決の刑に算入する。

理由

弁護人内田松太の陳述した控訴の趣意は同人提出の同趣意書に記載の通りであるから茲に之を引用する。

第一点採証上の違法に関する論旨に付いて。

原審第二回公判調書によれば原裁判所は被告人及弁護人に対し所論の書面を証拠とすることに付異議の有無を問い被告人等において右書面を証拠とすることに同意し且証拠調に対しても異議なきことを確めた上、特に右書面が作成され又は供述がなされたときの情況をも検討し相当と認めて適法の証拠調手続を履踐した上証拠に供していること明白である。然らば所論の各書面は刑事訴訟法第三百二十一条乃至第三百二十五条の規定に拘らず同法第三百二十六条によつて証拠能力を有すること一点容疑の余地がない。

なお(一)文奉伸が真実を述べることにより被告人からの後難を恐れながらも、なお且被告人に不利な供述をしている事情は論旨とは正反対に該供述の任意性確実性を証する資料とこそなり得れその任意性を疑う資料とは到底なり得ない。

(二)鄭昌朝、盧炳玉の公判調書謄本における自白が仮に鄭において勾留二ケ月後(但証拠はない)爐において一ケ月十日後になされたものだとしても右事件は同人等の密航に関するものであり、実質的な共犯関係者も多数に昇つていたことは右謄本からも窺えるところであるから、右の事情に照して不当に長い勾留後の自白とは云えない。従つて本論旨は総て理由がない。

第二点事実誤認に関する論旨に付いて。

原判決挙示の証拠を綜合すると優に同判決認定の犯罪事実を肯定し得べく他に右認定を左右するに足る証左はない。従て本論旨もまた理由がない。

第三点量刑に関する論旨に付いて。

記録を精査してみても原判決の刑が特に重いとは到底思われない。従て本論旨もまた理由がない。

その他職権で取り調べてみても原判決を破棄するに足る事由を発見し得ない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条刑法第二十一条に則り主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 安倍恕 裁判官 仲地唯旺 裁判官 青木亮忠)

弁護人内田松太の控訴趣意

第一点採証上の違法

原判決は証拠能力なき証拠を採用した違法があるので破棄を免れないものと確信する。即ち原判決は罪となるべき事実として「被告人は第一、大韓民国人で日本国に居住し外国人登録証明書の交付を受けているものであるが、昭和二十五年五月十二日午前七時頃福岡県山門郡大和村中島海岸より船長文奉永の操舵する韓国向け密航船新豊丸(十五馬力七、七九トン)に乗船し韓国に向け日本国を退去した際所定の官公吏に対し外国人登録証明書の返還を為さず。第二、第一記載の如く新豊丸にて韓国に向け密航するに際し税関の免許を受けないで別紙物件目録記載の物品を同船に積込み前記中島海岸より韓国に向け出航して密輸出したものであると認定し証拠として、一、被告人の当公判廷に於ける供述、一、文奉伸の検察官に対する供述調書謄本(検第三号)、一、金俊大の検察官に対する供述調書(検第七号)、一、鄭昌朝の公判調書謄本(検第五号)、一、盧炳玉の公判調書謄本(検第六号)、一、小柳義夫の検察官に対する第一、二回供述調書(検第七、八号)、一、小柳久義の検察官に対する供述調書謄本(第九号)、一、検察事務官作成の外国人登録証明書に関する報告書(検第十四号)一、海上保安官作成の差押調書(検第十五号)、一、検察官作成の領置調書(検第十六号)、一、検察官作成の換価処分決定書(検第十七号)を掲記しているが、それ等を検討して見ると、

第一、左に掲ぐる供述調書謄本及公判調書謄本は何れも証拠能力がない。

一、文奉伸の検察事務官に対する供述調書の謄本によれば、同人は「若し約束を破つたら私刑でも加えられるのではないかと想像しています。従つて自分が真実を申し上げた事は秘匿して頂きたいし又自分の供述によつて他の者が処罰される様な取扱を受けると将来どの様なことになるか自分の身を心配致します」と述べて朝鮮密航の事実を自白しているのであるが、同人が斯くの如く自分の身を心配し、後難を恐れ乍らも犯罪事実を自白したのは果して任意の供述か否か甚だしく疑わしい。何等かの強制圧迫なくしては為し得ないことではなかろうかと考えられる。

此の点につき、本控訴趣意書添付の疏明書類第一号(被告人李康純の上申書)によれば、文奉伸は逮捕後一旦逃走を企てたので搜査官にその非を責められた結果右のような自白をしたものと思われる。此の点に於て文奉伸の供述調書は刑事訴訟法第三二一条第三号但書所定の「その供述が特に信用すべき情況の下にされたもの」と云ひ難いから本来証拠とすべからざるものと云わねばならない。仮令原審に於て此の点に異議を止めなかつたとしても右の情況が明らかになつた上は異議を止めなかつた一事を以て瑕疵を補正し得るものとは考えられない。

従つて原判決は証拠力のない右供述調書を証拠に採用した点に於て誤謬を犯したものと断ずる外はない。

二、鄭昌朝の公判調書謄本によれば同被告人は公判廷に於て初めて公訴事実を自白していることに相違ないがそれは昭和二十五年八月十二日である。

同人は検事立証の被告人李康純に対する現行犯人逮捕手続書により、李康純と同じく同年五月十二日逮捕されたことが明である。その後検察官の尋問に対しても否認し続けて来たことが明瞭であつて、同人が公判廷に於て自白したのは丸二ケ月に亘る勾留によつて自暴自棄の状態となり、心身共に困憊した揚句の自白とも考えられ、全く不当に長く拘禁された後の自白に外ならない。

従つてかゝる自白を内容とする同調書は刑事訴訟法第三一九条第一項により当然証拠能力がないものと云うべきである。斯様な自白に証拠力を認めないことは、憲法で保証しているのであるから被告人側の異議如何に拘らず証拠とすべきものではない。原審は之を証拠とした点に於て採証の法則に反するものと云わねばならない。

三、爐炳国の公判調書謄本によれば、同被告人は「今迄対馬に行くと申しておりましたがそれは偽りであります」と述べ始めて公訴事実を自白しているのであるが、それは昭和二十六年六月二十一日であつて、同被告人も亦前記鄭昌朝と同様に不当に長い拘禁の後の自白に外ならず、これを内容とする公判調書謄本も亦当然証拠能力がない。此の点に於ても原判決は採証の法則に反したものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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